「篠原憮然」講演会が開催されました

篠原憮然(本名 篠原禄次)は、明治22年3月 兵庫県美方郡西原村に誕生、神戸高等商学校に学び、郷里美方郡小代小学校に奉職、教育に関する著書を多く残し、のち立志上京早稲田大学文学部哲学科に学び、男女学生の指導をなす。
 その後不良の青年を預かりて感化事業を起こし、地方青年指導上の著述を発表し、また、東京朝日新聞の嘱託として、東北各県下に講演旅行を続けたるも、26歳の時修養を志して山中に入る。
 大正3年奥飛騨の上宝第一小学校に奉職し、大正5年に自ら望み平湯分教場へ転任する。教え子のため町村に工女組合を組織、購買組合の設立を指導する。
 また、青年・婦人会等の啓発に努め、俗歌の改良・登山道の改修・導標の完備等、地域の発展に偉大な足跡を残すとともに、大阪や東京他各地で社会事業について研究しその教育に奔走されています。
 大正13年11月東京より帰山の途中、安房峠にて吹雪のため遭難され、36歳の若さで逝去されています。
 大正時代の社会教育の洗堀者で、飛騨人の心に残る力を伝えられた偉大な方の生涯を、元高山市教育長の「森瀬一幸」さんが11月8日「奥飛騨総合文化センター」に置いて講演されました。
 講演会は3回に分け実施され、今後第2話を11月15日、第3話を11月22日に行われます。