大正9年豪雨大災害の記録写真等が発見されました
掲載日:2016年07月11日
大正9年6月28に飛騨地方を襲った豪雨災害の記録写真が発見されました。
書類は、飛騨市(旧神岡町)で廃棄処分しようとされていた書類の中から見つかり、土木・船津町役場(旧神岡町)と書かれており、この書類の中に岐阜県高山測候所の洪水報告記録写真書類が見つかりました。
写真は最上流の蒲田川蒲田温泉流失災害、合流し高原川となり上流部の田頃家集落の土石流災害、葛山集落の家屋流失と土石流災害、中流部の神岡市街の流失災害、宮川筋の国府町や古川町の被災写真も掲載してありました。
この書類には神岡市街地の浸水状況等を記録した絵図もありました。
この豪雨災害で蒲田温泉では建物13棟、田畑・貯蔵物等集落全てが流失、上宝村の被害は、死者5名、家屋全半壊・流失64戸、道路流失・決壊延長3.7Km、下流の船津町(飛騨市神岡町)では、死者17名、家屋倒壊3戸、半壊77戸、浸水290戸、流失47戸の大きな被害が出ました。高原川の橋梁は神岡町市街にある藤波橋を除いてすべて流失したと記録されています。