鎌倉街道の調査
掲載日:2016年05月17日
鎌倉街道とは、中世鎌倉幕府が鎌倉から各地に開いた道の事である。それによって飛騨から鎌倉への道がどこを通ったのかは諸説があるが、美濃廻りではなくて、飛騨山脈(北アルプス)を越えて交通したことは確かである。この事は越後を除く北陸諸国の場合も、親不知を越えて遠く上越を迂回するより、飛騨山脈を越え、信濃・甲斐を通って鎌倉へ入る方が近道である。
これらを考えると、本村を通る鎌倉街道とは、越中成願寺川を遡り有峯峠を越えて、山之村を通り山吹峠から双六川を下り、中山から高原川を遡り、神坂から平湯を経て安房峠を越え信州に至る道であると考えられています。
山吹峠は山之村森茂と金木戸山吹を結ぶ道で、現在は大規模林道の片側1車線の立派な道が作られています。
地元の古老に昔の道をお聞きし、5月14日ボウケ集落調査の後午後から実施しました。山吹集落から800mあまり上流の階段状の水田跡を登ると小屋があり、山道に入ります。落葉等で道は谷側にかなり傾斜していますが、幅は1m程度はある立派な道であった事が予測されます。勾配はかなり強く、山を横断していくと言われていましたので、予想以上の急坂に驚きました。峠を越えなければならないので当たり前の事とも思えますが。
道の端はカモシカか何か動物が歩いているらしく、落ち葉は除かれており道であることがよくわかり安心して歩けます。しかしながら4~50年使われていないらしく、雑木が生えており倒木もありスムーズには歩けません。
話に聞いていた小さな谷があり、ここで対岸に移ります。少しのぼると尾根に出て尾根沿いの緩やかな道になりますが、じきに山を横断するようになり、雑木や倒木も増え歩きづらくなります。笹が生える所まで来ると道の形がなくなりました。
かすかな平場を頼りに進みますが完全に形がなくなりましたので、直踏する事10m余りで昔の林道に出ました。林道を横断し上部を探すと街道らしい道が見つかったので今回はここまでとしました。