砂防学習村巡りバスツアーを開催

急峻な北アルプスと活火山焼岳、奥飛騨はこれまで幾多の土砂災害に見舞われてきました。
 昭和7年から始められた砂防事業は、奥飛騨や富山平野を自然災害から守る
効果を徐々に現し始めています。
 砂防とは何か、普段立ち入れない、見られない社会インフラ、その現場を巡りながら、雄大な北アルプスの眺望と森林浴、冷涼な高原を体験しながら自然災害と戦う現場の歴史を覗いてみました。
 8月1日第1回目の「砂防学習村巡りバスツアー」を開催しました。前日まで4名の参加申し込みがありましたが結局は2名となり、初めての事でもあり実施しました。
 天候は快晴で午前8時30分に奥飛騨総合文化センターを出発いたしました。
最初は白谷砂防堰堤群です。活火山「アカンダナ山」の直下で奥飛騨で最も崩壊の激しい所です。鋼製立体格子型の砂防ダムには、土石流による巨石が詰まっており、自然の猛威を見せつけられます。ガイドを務められた元神通川水系砂防事務所松本副所長の話にも熱がこもります。
 その後標高1600メートル大棚に登り、焼岳南側斜面の噴気孔を眺め火山活動が活発である事を確認し、500メートルばかり歩いて昭和7年始めて砂防事業が開始された岩坪谷1号~3号砂防ダム工事飯場跡を見学しました。
 その後平湯川上流法面工を福地温泉から眺め、しのぶ砂防堰堤では砂防堰堤としては珍しいトンネルの中から水の流れ落ちる様子を見ました。
 午前中の見学はこれで終了し近くの一重ヶ根防災センターで昼食を取り、午後の見学は、栃尾温泉洞谷土石流災害があった「洞谷流路工」、大正9年の土石流で集落全戸が流失した所に建設された「地獄平砂防堰堤」、明治22年と昭和28年に大崩壊を起こした「外ヶ谷砂防堰堤群」、昭和38年に土石流災害があり岐阜県により河川整備がなされましたが、その後度重なる被災で現在直轄による整備がなされている「新穂高渓流保全工」を見学し日程を終えました。
 参加者から「普段見ることのできない場所へ入り、地域の安全のために長い年月をかけ防災施設が整備されつつあることを知り、砂防事業の大切さをしみじみ感じた」とお聞きしました。
第2回目は8月8日(土曜日)です。