ボウケ集落跡を調査

上宝郷土研究会では昔の集落跡を調査しています。
 金木戸(かなきど)集落は平家の落人伝説が伝わっており、かって平家の落人が追手を逃れてこの地に入り、小高い山上を切り開き家居と定めたとあります。そして下佐谷や枝村山吹(やまぶき)に向かって間道を設け、大木を伐採し柵を作り囲いを固め、これを木戸といった。その木戸の堅固さが金のようであった事から金木戸と呼ばれるようになったと村史に示されています。
 金木戸集落は幕末には世帯15戸、人口110名余りと記されています。
5月14日は好天に恵まれ、金木戸集落枝村山吹集落のまた枝村となる「ボウケ集落」跡の調査を行いました。
集落跡は標高1100m付近にあり、山吹谷の源流部にあたり、早春の感じで山菜摘みの方が多く見受けられました。
 地元の方の話では、集落があったのは明治の頃の話で、そこに住んでおられた人は県外に移住され、どのような集落であった事は全くわからないとのことで、推測では2~3戸余りであったのではないかと思われます。
 字絵図などから推測すると10間四角の屋敷跡があり、その周辺には幅1m程の水路と、それに沿い5m四角の小さな水田跡から10m四角の大きなものまで16枚の水田跡と思われる地形が見つかりました。他にも地形の緩やかな場所は字絵図の分筆から焼き畑として利用されていた所や、墓地と思われる所がありました。